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真央ちゃんの心の成熟を期待して [世の中エッセイ]

[雪]バンクーバー五輪のフィギュアスケート女子シングル、感情的には浅田真央ちゃんの金メダルを願っていた私としても、今回の銀メダルは妥当な結果だと思えました。
金を獲得したキム・ヨナ選手と真央ちゃん、二人のフリー演技を観た時、より精神的余裕のある人とない人との明暗がくっきり分かれて感じられたからです。

[位置情報]真央ちゃんの“余裕のなさ”には二つの要素がありました。
その一つは、「3回転半ジャンプ(トリプルアクセル)を2回成功させる(SPと合わせて通算3回も!)」という“ピンポイント目的”の存在です。
そのピンポイントに向けて、キリのように集中するエネルギーと、演技全体をすみずみまで持続的に表現しきるエネルギーとは、両立しにくいもののはず。真央ちゃんも、そのピンポイント目的を見事果たし終えた直後に、図らずも集中の糸がゆるんだかのようなミスに見舞われました。

二人の順位は丁度、男子シングルで「4回転成功」を看板に掲げて成し遂げたプルシェンコが銀に留まり、はじめから4回転はしない選択をしたライサチェックが金を獲得したことと、合わせ鏡のような関係になっています。
現在の新しい採点システムでは、一つの離れ業を成功させるより、後者のエネルギーの使い方においてまさっていた者が、より評価されるという趣向が打ち出されています。
だから、元々ミスがなかったとしても、真央ちゃんが金を得られる確率はそれほど高くはなかったのですね。
そんな中で、“必ずしも表彰には結びつかないけれども、記憶には残る偉業”を達成目標に掲げた真央ちゃんは、現実的な戦略家であるより求道者のようなストイックな道を選んだということで、両方をいちどきに得るのは難しい注文だったのだろうという気がします。

[位置情報]また、余裕を欠いた二つ目の要素としては、真央ちゃんが、結果として得られるものである金メダルをも、とにかくそれが欲しいのだと「ピンポイント目的」のようにしてしまっていること。
キムヨナのフリー演技前に、彼女の直前の談話として「五輪では何が起こるかわからない。これまで多くの選手に起こってきた不運なことが私にも起こるかもしれない」という言葉が紹介された時、
この4年間、私は真央ちゃんを見守り続けた1ファン・1オブザーバーとして、内心“負けたな”と感じるところがありました。
同年同月生まれの宿命の好敵手として比較され続けてきた二人ですが、現時点では、キムヨナの方が一歩先に“大人”になり、頂点に立つ者にふさわしいメンタリティに達していたと言えるでしょう。

“そんな事を口にして、もし実現できなかったら恥ずかしい”といった計算などせず、欲しいものは欲しいと臆することなく口にし、負けず嫌いの感情を取り繕うことが出来ない真央ちゃんを、私は天衣無縫で愛すべき人だと思っています。
ただ、おそらくそのままのメンタリティでは、あのキムヨナを凌駕して金メダルを得ることは難しいのではないかとも危惧しています。
口にしてしまうほど、実現が遠ざかる、ということもあるのですから。

競技終了後の2ショットインタビューでは、キムヨナは「真央がいたから今の私がある」と、口先だけでなく、隣りで不本意感と動揺を隠せないままの真央ちゃんを心底気遣う目で、励ましを伝えようとしているのがわかりました。
隣国同士でほぼ同時に生まれ、双子のように並び立つ運命を持った二人の魂の結びつきの深さを窺わせるひとコマでした。

[位置情報]これは私的な展望なのですが、おそらくこの先、真央ちゃんが「金が欲しい」と口にしなくなった時、真央ちゃんの中でそれを得ることが一番の目的ではなくなった時、自然に彼女がそれを得られるよう、物事の流れが切り替わるのではないかと思います。

これからの4年間に起こるであろう“変化”が楽しみです。[台風]
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明日、浅田真央ちゃん4年間の軌跡の総決算! [世の中エッセイ]

[晴れ]今日は関東で春一番[るんるん]が吹きました。

[位置情報]明日はバンクーバー五輪・女子フィギュアスケートで、
いよいよ浅田真央ちゃんキム・ヨナが雌雄を決するメモリアル・デイですね~
昨日のショートプログラム終了直後の2ショット記者会見では、それぞれ記者からの質問に、
両者一歩も引かない“勝つのは私という信念”を言葉の裏に忍ばせていたのが味わい深かったです。

キムヨナは元々、韓国人らしくストレートな自信家的発言をするタイプですが、
真央ちゃんが、日本人らしく奥ゆかしいテレ笑い含みの表情と優しい口調でありながらも、
素直この上ない邪気のない調子で「やっぱり金がほしいです」とこの場で宣言してしまえることやら、
ショートでキムヨナに4.72点差の2位となったことに対しては
「ヨナに少し近づけたような気がした。──今まではもっと差が開いていたので」
と、謙虚な言い方の中にも“だから、より逆転しやすくなって良かった”という本音を隠していないところなど、実に頼もしかったです[グッド(上向き矢印)]

キムヨナも確かに、動きの一つ一つに完成度の高さを感じさせる、恵まれた身体能力を持っていますが、真央ちゃんには、とにかく4年前の鮮烈なシニアデビュー当時から、観る人の心を昂揚させる、
他のどの選手にもない圧倒的な“華”があります。
体から発するエネルギーの“情報量の多さ”を感じさせるというか。

なんだか、ちょっと『ガラスの仮面』の姫川亜弓と北島マヤの組み合わせにも似たライバル関係かもしれません。

今後も彼女たちの切磋琢磨の関係は続くのでしょうけども、最初の4年間の総決算となる明日、
やっぱりここは真央ちゃんが先に金を戴くのが“正解”と信じたい気持ちです[ぴかぴか(新しい)]
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ドラマ『白い春』最終回に涙した皆さんへのメッセージ [世の中エッセイ]

[TV]昨6月23日(火)に最終回を迎えた、フジ系列・関西テレビ制作ドラマ『白い春』
主演は私もお気に入りの阿部寛さんと、「崖の上のポニョ」を歌っていた子役の大橋のぞみちゃん
「究極の親子愛を描く」という、うたい文句で4月14日にスタートしたものだ。

人がこの世界で生きるということの切なさを、これほどかき立てるドラマを私はかつて観たことがない。

番組公式HPの掲示板は、この3ヶ月間、ちょっとしたお祭り状態だった。
下は12歳以下から上は50歳以上まで、すべての世代の女性・男性が共に
《こんなドラマは初めて。初回から毎回涙が止まらない。》
と告白する書き込みが累々と続いた。

阿部寛扮する佐倉春男は元ヤクザの下っぱで、上の命令により、実は愛する人・真理子への献身という目的を秘めながら犯した殺人の刑期を終えて、出所したところからドラマは始まる。
社会的・精神的にどん底の状況だった彼が、大橋のぞみちゃん扮する小学3年生の少女・さち との宿命的な出会いから、次第に人間として再生していく過程は、“このまま幸せをつかんで…!”と切実な思いで肩入れせずにはいられない説得力に満ちている。
それは、飾りが無く「本質」のまま周囲と接する春男が持つ、まっすぐな男気から、ほほえましい稚気、すさまじい鬼気から清澄な神気に至るまで、丸ごとの存在感を演じきる阿部寛の“凄み”のなせる業だ。

だから、最終話に及んでの、意表を突く場面転換での“贖罪”と“救済”とがミックスされたような幕切れは、このドラマを心の宝物としてきた多くのファンの心に、いわく言い難い複雑な波紋を巻き起こしたことと思う。

放送終了直後に早速、掲示板に続々寄せられ始めた書き込みの中に、
《彼は堕天使だったのかもしれない》という言葉があった。
これは、絵を描くことが特技であるさちが、初対面の春男を描いた時から、
その背中に大きな天使の翼をしょわせていたことをふまえたものだろう。
それは当初、子供の目が見抜いた、彼の心の“純粋さ”の表現、とも解釈できたものだった。

私もこのコメントに同感だったので、この最終回から受け取ったものを、次のような詩文に託して感想に代えたい。

 彼は極道に落とされた堕天使。
 「誰かの命を救いたい」という魂が求める願いを、
 真理子の時には、やり方を間違えたがために失敗したけれど、
 今度は見事に果たせて、満足して生を終えることができた。

 出所からこの日までの数ヵ月間は、彼が使命に再挑戦するために与えられた、
 「恩寵の時」だった。その間に彼は、
 生きる目的を見失い堕落した男から、天使のように浄らかな無償の愛と正しさを実行する男へと
 人格の可能性の階梯(かいてい)を駈け上がり、昇天に成功したのだ。

 最後の日の直前、出所前からよく眺めてた空をゆく鳥たちが、いつも5羽止まりだった数が、
 ついに6羽の綺麗な矢印型の隊列として現れたのは、
 「使命遂行の時が来た」という報せだったのだろう。

 彼らにとっても、オブザーバーであった私たちにとっても、「奇跡」と呼べる3ヵ月間。
 実行されたのは、“人は、やり直せる”というメッセージ。
 「愛を行う」ことを、あきらめる必要はないのだと。
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夏目祭子、コマネチとの“再会”と、とんだハプニング [世の中エッセイ]

[TV]昨夜7~9時の時間帯は、そそられる2時間スペシャル番組が3つも重なって大変でしたね。

 ①「クイズ・ミリオネアSP」のビートたけし初出場スペシャル
 ②16年続いた「TVチャンピオン」の最終回
 ③モクスペ「大予言SP~人類滅亡7つの警告」

それぞれ興味は引かれたのですが、③はまあ、毎度おなじみ使い古された企画とも言えるので落選、②をとりあえずHDDライブラリに保存、結局オンエアは子供たち共々①を観ました!

[ぴかぴか(新しい)]いや~これを観られてヨカッタなア、と大満足したのは、たけしの言動の愉快さはともかくとして、
途中で突然はさみ込まれた、ある“大物”からのメッセージ映像というのが何と…
私の敬愛するナディア・コマネチ[ハートたち(複数ハート)]だったからなのですよ…!
拙著『ダイエット破り!』の読者の方なら、私が彼女に同時代人として遠隔的なつながりを感じながら成長してきたエピソードをご存知ですよネ。

それにしても彼女の姿は、10年単位で久しぶりに見る度にイメージが変わる!
今回は特に従来とはガラリと様変わりしてて驚きました。
髪を黒く染めたせいか、顔つきが重厚で貫録のある、名前で言えば“ベラ[るんるん]”といったイメージに…
(コレ、『妖怪人間ベム』の美人奥方の名でもあります、そう、あれをもう少し優しくしたような雰囲気に)

[どんっ(衝撃)]しかし、それにも増してオドロイチャッタのは、彼女がカメラに向かって笑顔しながら
「コマネチ」「コマネチ」と、言わずと知れたたけしのギャグを、ご本人自らパフォーマンス[exclamation×2]してくれちゃったことなんですね。
いや~素晴らしい!
栄光も修羅場も乗り越えて来た人だけあって、ハートが開けてるわ~。なんでこっちを録画しとかなかったんだッ!と悔やまれましたね。
(You Tube にupされないかな?)

なんか、日本と彼女を結ぶ、ある因縁の糸が今ツナがった!みたいな劇的場面でしたなあ…[目]

さて、③の番組プログラムにもしっかりラインナップされていた、最近流行りの
“マヤ暦が2012年に終わる”風説について、ひとこと言っておきたい事があるので、この話はタイトルを改めて続行します[次項有]
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マヤ道中後日談☆チベットの次は日本だよ! [世の中エッセイ]

[位置情報]前回の、われら日本人チームの無国籍コスプレ軍団ぶりについて、よりディープな補足をしておきましょう。

[晴れ]マヤ文明が栄えていた頃というのは、当時のマヤが世界のスピリチュアルな英知が保持される、霊的センターの役割を果たしていたのだといいます。その英知の「センター」というのは、レムリアに端を発し、その国に動乱や異変が起こって役目を果たすのが難しくなると、次の場所へと移ってきたのだといいます。
それは、レムリア→アトランティス→マヤ→インド→チベットの順で転々としてしました。
このあたりのいきさつは、「ナガク’奥義学校」発行の冊子『マヤン・ノリッジ』に詳しく書かれています。
さらに地理的にも、メキシコの接するカリブ海沿岸は、今はなきレムリア大陸の一部があった所と言われることがあり、マヤと言えばそのルーツのレムリアも、視野の向こうに透かし見えてくるんですね。

[かわいい]そう言えば、われらがコスプレ軍団の中で、奇遇にも「レムリア服」をまとってマヤの祈りに参加していた女のコたちの存在が光って見えてきます。
それは現実的には「なんかデザインがステキ[ぴかぴか(新しい)]」という女心で選んだものながら、無意識のうちにスピリチュアルな伝統ラインにのっとったものを着てしまうあたり、よいカンをしています。

[ひらめき]さて、↑↑上のような「霊的センターの移動の歴史」を初めて読んだ時、ここまで来れば、数多くの西洋のスピリチュアリストたちがそう言って励ましてくれるように、“次にその役目を果たすのは日本だ” というストーリーをつい期待してしまいました。
が、マヤの長老の口からは、これまでそのような発言が出たことはなかったのですね。
それもそうだ、多くの僧侶たちの祈りと修行によって、高い精神性と礼節が保たれてる、かの地と引き比べて、こちらは崇高とはほど遠そうな、享楽的でチャンチキおけさな現状ですから…

けどしかし、私たちがマヤへ発つ直前に、チベットで動乱が始まったのが気になっていました。
過去の例を振り返れば、外部からの侵略は、センター移動の前兆になるものです。

すると、私たちが帰国した後、ツアー主催者のナガク’さんより、長老がついに「チベットから日本へ意識をシフトした」ことを告げる知らせが舞い込みました。(メルマガ「マヤ先住民の宇宙的教育に触れて」より)
http://archive.mag2.com/0000170699/20080411121002000.html

[exclamation&question]一体、私たち日本人のどこがいいのでしょう?
一つには、これまでの長い歴史の中で、遂に一神教的な宗教観に染まることなく、多様な神々を併存させるゴッタ煮の精神構造を保持してきたというところにあるんじゃないでしょうか。

まあ、明治維新から太平洋戦争へと続く一時期には、珍しく一神教のマネ事をしたわけですが、それも敗戦という形で「アンタたちはそれじゃダメ」という裁可が下されたと言えるのです。
だから、とかく戦後の日本は戦前より悪くなった、ダメになったと言われがちではあるけども、ある意味では「元通りになった」んですね。
つまり、多神教・ええじゃないかの精神構造を取り戻したってことで。

[晴れ]この日本の無定型性は、排他主義的な紛争が絶えないこの世界にとって、オアシスになるモノですよ。
自信を持って、大らかに進もう、ニッポンの住民よ! ってなもんです。

[exclamation×2]余談ですが、何十年か前までは、オリンピックのユニフォームも国際的な呼称も 「NIPPON」 と表記されてたのをご存知ですか?
言霊に詳しい人の見立てによれば、そちらのほうが JAPAN より美しく、かつ日本にふさわしいのだと聞きました。
確かに頭の「JA」は元の日本語と何の関係もない、余計な音(「邪」?)が押しつけられた感じ。
元々、自国語の呼称表記にない音を、他国にくっつけられて呼ばれてる国って、日本ぐらいじゃないの[exclamation&question]
というわけで、これからは積極的に 「NIPPON」 と名乗っていきたいなと思いました。
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お待たせしました!マヤ道中に笑えた愉快なひとコマ報告 [世の中エッセイ]

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[グッド(上向き矢印)]ククルカン・ピラミッドを見上げるわれら日本の仲間たち

[飛行機]月末に無事、マヤ(メキシコ・ユカタン半島地域)より戻りました。
その後どうなった?とのぞきに来て下さってた方、お待たせしてゴメンナサイ。遅ればせながら帰国報告兼、ちょこっとお土産バナシです。

[目]そもそも今回のツアーのホネは、西洋のマヤ研究家たちが誤解をベースに組み立てて広めてしまった、色メガネ越しのマヤ像ではなくて、情報がねじ曲がって伝わる以前の「本来のマヤ」に触れてくること。
マヤ文明時代の人々は、スケールの大きな宇宙観で貫かれた、深遠な教育を受けていたといいます。その内容を、500年もの長きにわたって口伝という形で保存し続けてきた家系の長老から直々にガイドしてもらう、という何とも貴重な学びの機会です。

[晴れ]長老フンバツ・メンを慕う日・米・独の弟子たちが集めた、今回のツアーの参加者は、のべ100人を超えていました。
実はその半数以上が、われわれ日本人。うち半分は、13の月の暦ユーザーが中心になって寄り集まった、私たち友人グループが占めていました。

[かわいい]さて、フンバツを囲んで皆でマヤの伝統セレモニーや、遺跡をめぐる勉強会に参加する時は、なるべく白い服を着用するのが定例になっています。これは、マヤの伝統的な民族服が「ウィピル」という、白布にカラフルな刺しゅうを施した衣装であるため、それに近い格好をということのようでした。
それにはウィピルを買ってしまうのが一番カンタンで、実際、日程の大半で行動を共にしたアメリカ人チームの女性たちは、ほぼ全員ウィピルを着用していて、実にわかりやすく統制がとれていました。

そう、私たちは皆 “マヤの文化をリスペクトして学びに来た人々” だったワケで、アメリカ人グループは正しくそのような格好をしていたのですが、
ところがその一方で、われわれ日本人チームはと言えば…

ウィピルを着用している人は割と少数。

かく言う私も、白糸刺しゅうの入った黒いフレアスカートに、銀ラメ入りの白レースカーディガンを羽織る、といった変則ワザを使っていましたが、

[次項有]あちらでは、比較的年若いキレイどころのHちゃんたち女性軍が、「レムリア服」と名づけられた、古代風のユニークな生成りのロングワンピースの上に、白っぽいヴェールを何だかイスラム教徒のように頭にぐるりと巻き付けて垂らしているさまは、決してマヤじゃなくて「砂漠の民」みたいだし、

[次項有]そちらでは、藍染めの長袖くるぶし丈ワンピースを着ながら、後頭部に日よけを垂らしたカーキ色のアウトドア・キャップを強引に合わせているA女史の颯爽【さっそう】たるいで立ちは、
「シルクロード界隈の部族民?」「いや、アフガンあたりに潜入した報道記者?」としか言えず、

[次項有]こっちには真正の現役コスプレイヤーであるT子ちゃんが、せっかくゴスロリ趣味の香り高く作った白レースのワンピース&ヴェール姿の上に、観光客仕様のテンガロンハットをすましてかぶってしまった……[exclamation]

一体この集団は……何なのか[exclamation&question]

日本らしくもない、マヤでも、ない。 国籍不明・趣旨不明の、謎のコスプレ軍団[exclamation&question]

──しばらく自分の属する集団の天然のキテレツさが笑えて仕方なくて、ゲラゲラ涙こぼしながら歩いてました。

いやあ、まったくこれだから──ホントに日本人のメンタリティーっていうのは、
何でもええじゃないか[るんるん]の八百万【やおよろず】構造だなあ──と感じ入ること深し。
たとえれば、『千と千尋の神隠し』の湯屋の世界ですね。
かくもゴッタ煮だから、「MANGA」が発達するってこと!なんですよ。

[本]さて、「真実のマヤ」の話は、この夏発売の「voice style」vol.4に詳しく書く予定です。
↑↑上の写真は友人のすーさん撮影版から拝借しましたが、誌上では800万画素で撮り集めたマイカメラ写真も豊富に収録するつもりです。どうぞお楽しみに[ペン]





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春分に合わせてマヤの地へ出発します! [世の中エッセイ]

ククルカン・ピラミッド.jpg
[カメラ]この写真は、メキシコにあるマヤ文明の遺跡「ククルカン・ピラミッド」。
先月出た新刊『性に秘められた超スピリチュアルパワー』をお読みになった方はご承知の通り、このピラミッドはただのモニュメントではなく、それ自体が天体の動きを正確に写し取ったカレンダーの機能を持っているんですね。

[晴れ]特に毎年、春分の日の午後には、階段測面の斜辺にピタリと沿って日光が当たるために、ちょうど大きな蛇が天から地上へうねり降りてくる姿が浮かび上がるという、実にめでたい仕掛けが織り込まれています。

当時のマヤ人は、周期の異なる17種類もの暦を同時に使いこなしていたといいますが、1年サイクルの太陽暦は、毎年春分の日からスタートします。
つまり、この「光の蛇」のスペクタクル・ショーは、1年の始まりを告げるお正月の祝祭だったんですね。

[満月]今年は、その春分と満月の時期がほぼ重なるという、めったにない年回りなので、かねてからマヤに因縁を感じていた仲間と連れ立って、思いきって出かけることとあいなりました[ぴかぴか(新しい)]
マヤのシャーマン、フンバツ・メン師のお弟子である「NAGAK’U奥義学校」さんのお世話になるので、マヤの真髄を味わうディープなツアーとなりそうです[揺れるハート]

[目]旅の様子は、この夏発売予定の大型ムック「voice style vol.4」(2012年問題特集号)にてドキュメント致します。
年1回ペースで発行されているこのムックには、vol.2から毎回記事を書かせてもらってるのですが、「vol.2 パワースポット 神社」に寄稿した
「レイラインが描く人と天地の聖なる会合ルート」の中で、まさにこのマヤ文明とククルカン・ピラミッドについても詳しく書いてたんですね!
当時は資料と国内取材のみだったけど、今回は私にとっては初めて!の海外取材。
いい写真撮らなきゃ~
読者プレゼントにいい土産を見つけなきゃ~
と軽くプレッシャーを抱えつつ、行ってまいります![飛行機]

※これから月末まで、コメントへのお返事などができなくなりますのでご了承下さい <(_ _)>


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干支の変わり目・節分~立春を"浄化"して包んだ首都圏の雪景色 [世の中エッセイ]


雪国の方には"何を今さら…"なおハナシとは思いますが、ちょうど干支の変わり目に相当する、
昨日の節分から今日の立春にかけての2日間、首都圏全域としてはこの冬初めての積雪となりました…!
(※先ほど「旧暦の大晦日~元日」と書いちゃったのは、記憶の混同でした、
お詫びして訂正します<(_ _)> 旧暦は月齢サイクルだから、元日は次の新月2月7日となります☆)
このウマ過ぎの"名演出"に私ゃ喜んじゃいましたね♪
昨日はわざわざ「雪の中を歩きたい」がために、用事を作って雪降る中をシャクシャク歩き回りました。

雪は世界を大地と空気ごと浄化してくれるからいいですよね。
あたかも天上界主催のお正月儀式だったみたい!

去年は、過去数年間来てた現象にトドメを刺すように、象徴漢字が「偽」と決まりましたけど、
今年は一層、「偽り」や「ごまかし」で出来たもののメッキがはがれて、崩れていく動きが盛んになることでしょう── と希望的観測もこめて予測します

上の写真は、「anemone」12月号のエッセイ「縄文台地に立つ両性具有の樹」を読まれた方ならご存知の、マイ聖地にある美エノキ「センターさん」です。
ちなみに後方、小さく見える木々のうち右側のが「タントリック・ツインの樹」。こちらは3日後に出る新刊
『性に秘められた超スピリチュアルパワー』(徳間書店・5次元文庫)で重要な役どころを果たしてくれてます。
背景に近所の子供たちがこしらえたとおぼしきプチサイズの雪だるまが乱立しているのがご愛嬌(^_^)


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自殺ZEROキャンペーンTシャツに夏目のコピーが採用されました [世の中エッセイ]

 

 去年始まった「自殺ZEROキャンペーン」というの、聞いたことありますか?
発信人は、1998年に四国の女子高生たちの間に「ヘブンズ・パスポート」という、ゲーム感覚で善行の徳を積めちゃうような、なかなかウマイ仕掛けをヒットさせたクリエイティブディレクター、
オキタリュウイチ氏。(←こちらのリンクにキャンペーンの企画趣旨も詳しく出てきます。)

 彼がこの企画を発進させたばかりの頃にたまたま知り合う機会があった私は、もし興味があったら、ということでキャンペーンに使うコピーを提供してもらえないかと持ちかけられたんですね。
そこで彼から出された要望というのが、「死ぬ気が失せるコピー」。

で、これをどう使うのかというと、そのコピーをデカデカと大書したTシャツを作り、それを着て有志で街を練り歩くというのです。すると、たまたま死にたい気持ちでいる人がそれを見かけたら、死ぬのを思い留まるキッカケになるかもしれない──そんな前向き思考のアイデアでした。

だから、例えば死ぬのがバカバカしくなるような、冗談っぽい「脱力系」のコピーでもいいんだ、ってことで各分野のクリエーターたちに呼びかけて、色々な個性のコピーを集めようとしていました。

 そんな中で、私は脱力系でなく、直球勝負を選びました。
それが、上の写真にある 《運命の人に 出会えるのは、 これからだ。》
もし私がその状況なら、この言葉さえ見せられたら一挙に死ぬ気が失せるだろう、究極のコピーが
これです。

“確かに!”と共感して下さった方は、よかったら購入して、今にも死にそうなあの人に贈ってみるのもいいかもしれません。そのお金がキャンペーンへのカンパにもなると思うので、私も近いうちに購入するつもりです。(実はまだ実物を見ていないので、ちょっと着てみたかったりする…)

久米繊維謹製アートTシャツストアより http://art.t-galaxy.com/item_zero74

ちなみに、こうして集まったコピーを1本ずつプリントしたTシャツを着た
『生きテクゲリラTシャツ100人隊』(!)なるスタッフが都内を練り歩くというイベントが、
昨年7月22日と9月11日の2回にわたってホントに行われました。その様子がコチラです。


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福島母殺害事件エッセイ・全文掲載 [世の中エッセイ]

7月12日付の記事でお伝えした月刊「anemone」8月号掲載の「福島母殺害事件」にまつわるエッセイを、月が変わりましたのでこの欄に転載したいと思います。

この事件は私にとって、日本人全体に「早く心の中身を入れ替えろ」と迫る、最後通告的なメッセージに受け取れたのです。折しもこの夏は、天気も大地も大揺れの「荒れ事」が続いています。
きっと私たち一人一人が、未解決の課題をクリアして、生き方を変更していかなければいけない時なのでしょう。
以下の拙文が、皆さんそれぞれが心に抱えてらっしゃるであろう、「し残した宿題」を片づけるキッカケにでもなれば幸いです。

 

母の体を切り刻んだのは誰?

 それは今年の5月15日のこと、会津若松市内で17歳の少年が実の母親を手にかけた上でその首と右腕とを切り離すという、世にも異常な出来事が起こりました。この報道の持つ、他のどの殺傷事件とも一線を画する悲劇的な毒性に、底深い衝撃を覚えた人は多いことでしょう。

 はじめにすぐ想像されたのは、この少年が、長年母親から、身体的にか精神的にか何らかの虐待を受け続けた結果、死に絶えそうな自我を守ろうとして「やむにやまれず」やってしまった、つまりよくよくの愛憎の果てに、という図式でした。

 ところが実態は違っていて、本人の証言は「誰でもよかった」──というものだったから更に呆気に取られました。母という、その人にとってはこの世で最も重い存在とも言える相手に対する動機としては、あまりにも不釣合いに軽い言葉です。そう、この事件が異質なのは、「母」という存在の意義が徹底的に壊されているからなのです。

 たとえ理想的な親ではなくとも、自分を産んでくれた、育ててくれた、ただそれだけで無条件降伏なのが、誰もが持つ「母」に対する思いだったはずです。他人を殺【あや】める犯罪者でさえも〝自分の母〟だけは「悲しませたくない」「すまない」と特別視するのが自然な情としてありました。

 ただ、この数十年ほどの時代の変化の中で、確かに母は「見上げるもの」や「尊いもの」ではなくなってきたのは事実でしょう。それは、子育ての質が変わったからです。

 古きよき社会のように、親から子へ「かけがえのないものの価値」を教える、といった「心を育てる」意識がぬけ落ちて、その代わりにただ次々と必要とされる品物をあてがい、お金を支払い、という調子で、物質的に世話を焼き続ける事が子育て、のような意識にすり替わってきたところがあるのを感じませんか? 会津若松の少年の態度も、この変化の延長線上にあります。

 おそらく彼は、母親のことを単に、お金や身の回りの事など、物質的必要を満たしてくれる「世話焼き女」という意識で捉えていたのではないでしょうか。そこには、だから自分の好きにしていい存在、という得手勝手【えてかって】な甘えが感じられるのです。

それは丁度、母なる大地の体を、自分の欲動のままに切り刻んでも当たり前と思っている、そんな人類の集合意識を体現しているように思えました。

 地球の体を、みだりに侵しては申し訳ない神聖なものと感じることなどとうの昔にやめて、ただ自分に必要な資源を何でも与えてくれる、都合のいい相手と見て甘えている、そんな種族である私たちの姿。かの少年の犯した行為は、今の人類が地球に対して取っている態度を、そっくり引き写したものに見えるのです。

 〝ここまで来た世界は、もう手遅れなんじゃないか──?〟瞬間、そんな思いがよぎりました。それは一つの絶望的な〝なれの果て〟を示していましたから。が、次にそうではない可能性にも気づきました。

大きな闇が姿を現した所には、反作用的に多量の光が流れ込んでいくはずです。それならば、この衝撃をバネに、私たちの意識の世界に、大きな修復作用が働いていくようにと祈らずにはいられません。

自分を育ててくれたものや、尽くしてくれた誰かに感謝する心の欠落は、私たちの誰もが抱えがちな闇の部分と言えます。私自身もこの報道の後、自分の中にあったそのほころびを思い知らされるような出来事に引き合わされました。やはり、自分とかけ離れて見える異様な人物の行動も、私たち一人一人と集合意識のプールを通してつながっているのです。今はただ、遅ればせであっても、気づいた所から修正を重ねてゆくしかないのでしょう。

最後に、あってはならないドラマを現実化する形で、私たちの意識に巣喰っていた闇を、拡大して演じてくれた二人の魂に、天空から可能な限りの癒しの光が送られることを願ってやみません。

 


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